私たちは、特に意味もなく生きている。
何のために生きているのと聞かれても、偶然生きているからぐらいの
解答しか得られないだろう。
それでも理由を求め続けている。
生きている理由
人生半ばで死にたいということもあっただろう。
しかし、なぜこれまで生きてきたのだろうか。
それは、下記のようなことが当てはまるのではないだろうか。
- 死ぬことが怖い
- 家族や友人、職場の人に迷惑をかけてしまうと思うため
- 死ぬ理由がなかったため
- そんなことを思いもしなかったため
今初めてこのことを考えたという人もいるかもしれない。
ただ、私たちが生きている理由は特になく、
寿命などで死んでいないから生きているぐらい感じだ。
生きる理由はなく、偶然なのだ。
死ぬ理由
生きる理由があれば、死ぬための理由もあるかもしれない。
こっちの理由に関しては、具体的には考えにくいかもしれない。
私たちの人生のゴールは、何も設定されていない。
偶然生きていることに、ゴールなどないのだ。
しかし、人生を長く生きていると、
途中で死にたくなるようなことがある。
そんなに頑張ってまで、やる必要性があるのかと。
もう一層のこと、自由になりたいと願うこともあるだろう。
しかし、現実には実行に移さない人が多いのではないだろうか。
ただそれでも、人生に絶望し自殺する人が、
日本人では1年間で2万人程度もいる。
この数値が多いか少ないかはさておき、
人生に苦しみ終える人もいるということだ。
私たちは、辛く大変な人生という長い道のりで、
ゴールは突然訪れる。
未来に希望を見いだせないと、自殺をして
人生の終着駅にしてしまうのだ。
人生に理由はないが、何を求め続けているのだろうか
生きる理由はなく、死ぬ理由は人生によっては、
途中で見つけてしまうこともあることが分かった。
しかし、時に人間は未来に希望を見いだせなく、
頑張り続けることが難しいことがある。
偶然の人生に、何を求め続けるのだろうか。
人は本来自由であり、興味を持ったことをやっていたのである。
これは、まだ狩りなどをしていた頃になるだろう。
しかし、現代社会は仕事や家庭に追われて、
やっとの思いで自由な時間を手に入れる。
ただ、その自由な時間の使い方が分からないのだ。
昔と違って、興味の赴くままに行動すると、
誰かから罰せられたりもする。
自由な時間は、未来を想像し不安になってしまうのだ。
そのために退屈しのぎに、動画や音楽を聴いたり、
ゲームをしたりして時間を潰しているのだ。
未来は考えるだけ、不安になってしまう。
だから、新しい刺激を求め、退屈な時間をなくすのだ。
まとめ
- 私たちが生きているのは偶然であり、意味などない
- 死ぬ理由は人によるが、あまりにも辛すぎてしまい、
日本人で年間2万人程度が自殺してしまう - 私たちのは、不安にかられることを怖れている
- 退屈を減らし、刺激を求めつづけている
生きているのは偶然でしかなく、死ぬ理由は見つけてしまうことがある。
未来に希望が見いだせなくなって、しまわないようにする必要がある。
私たちの人生は長く退屈なものから、脱却しようとあがいているのかもしれない。
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