今日が最後の日だったら、何をするのだろうか?

もし、明日死ぬとしたら今日は何をするだろうか?

いつもと変わらない1日や、思う存分ゲームでもするのだろうか?

もしと聞かれても、なかなか思いつかないものだ。

最後の1日をどう過ごすか

会社に行かずに、遊びまくるだろうか?

それとも、最後の1日と信じずに、
いつもと変わらない1日を過ごすのだろうか?

私たちは、最後と言われてもピンとこないのだ。

実際に経験ができないため、
また変わらぬ明日が来ると思っている。

明日が来ることが当然になっている

私たちは、今日を生き抜くことを考えずに、
未来を生き抜くことを考えている。

それは、いつも明日が来るものだと思っているからである。

明日が来ることは、当たり前に感じているだけなのだ。

一方で、野生の動物は、明日のことよりも今日をどうするかを考える。

敵に狙われ、今日の食べ物を探す。

人間はどうだろうか?

1日を安心安全に過ごすことができるため、
未来を考えられるようになったのではないだろうか。

その結果、未来について考えるのであろう。

つまり、幸せなのだ。

明日できることは、明日やる

明日できることは、今日やらないという人は多いのではないだろうか?

明日の自分に期待して、今日やらずに明日やると。

しかし、明日の自分はどうなっているだろうか?

体調を崩したり、急な予定が入ったりして取り組めないこともあるだろう。

本来、明日とは不確定要素が多すぎなのではないだろうか。

未来に希望がある分、苦悩が多い

私たちは、今を生きるために働いてはいない。

未来を生きるために働いているのだろう。

誰しも、未来が必ずくると思っているが、
本当にそうなんだろうか。

突然の事故や天災に巻き込まれたり、
いろいろな可能性があるだろう。

しかし、現実にそう考える人は、
かなり少数派だろう。

その未来を手に入れるための、苦悩は多々あるが、
それでも未来を求める。

いつ終わるか分からない、未来のために。

まとめ

  • 経験したことがないことは、どうなるか想像が難しい
  • 明日が来ることを当然に思っている
  • 本来、明日とは不確定要素が多すぎるのである
  • 未来に過度な期待や希望を抱いていないだろうか

少し話題が暗かったですが、どうだったでしょうか?

私たちは、未来のために生きるのもそうですが、
今というかけがえのない時間を大事にして欲しいです。

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